あなたは「愛と調和」と聞くとどんな感じがしますか?
私は、穏やかであたたかな気持ちになります。
以前は、正直胡散臭いと思っていました。
こんなに大変な世の中で、ほんとうにそんなことできるの?と。
それは映画やドラマの中のことで精巧に作りこまれた世界のこと。
仏像やある特定の場のもつ力。
そして、特別な力のある人たちのもの。
そんな風に思っていました。
でも、案外身近にあるんですね。それは他ならぬ自分の中です。
わたしは、それは誰の心の中にもあって、自分が気づいているか否かではなかと思っています。つまり、全人類標準装備なのです。また、ある特別な瞬間にだけやって来るものだと思いがちですが、それはずっとあるものです。
私自身がそれに気づくにはあるきっかけがありました。
「愛と調和とか、なんだかむず痒い感じがする」と居心地の悪い感覚をもっていましたが、ある時からなぜかその言葉をよく目にするようになったんですね。
でも、その時はまだ自分とは遠いものでした。
「そういう人もいるのね」「それってどんな感覚なんだろう」と。
そして、それを体現しているある方の話を聴いるうちに「聖人君子にならなくていいんだ。愛と調和って普通の人のものだ」と感じた時に、もしかしたら自分とも関係のあることかもしれないと思うようになりました。
また、そう生きる可能性を探るようになってからのこと。
私には、とても苦手な方がいました。あるワークショップでご一緒したのですが、その人のやることなすこと全てにイライラし、成すすべもなく自分の機嫌が悪くなっていく。投影だとは分かっていてもイヤなものはイヤという感じでした。ある日のスケジュールが終わりに差し掛かった頃、どんどん自分のこころが閉じていっていることに気づきました。「このままでは、他の良かったことがこの人へのイライラで台無しになる。それはイヤ」と感じたことをよく覚えています。最後の最後に「愛と調和を」と心に決め、穏やかな気持ちでその方に関わりました。相手の反応は意外なもので、思った以上に何かを受け止めそれを表現してくれました。それによって自分の閉じかけたこころがふわっとほどけたことにも驚きました。そして、私は初めて調和を体感したということに気づきました。今までどれだけいがみ合ってきたのか、自分の不快感に乗っ取られていたのか、そして自分が正しいと主張してきたのかを省みる大切な機会でした。行動を起こしたのは愛。そこに現れたのは調和。こう表現すると大げさなのですが、まさにその瞬間に起こったことではないかと思っています。
今でも、いつでもということは難しいですが、自分や他者、生命をもっていないと言われるものや外の世界と優しい気持ちで関わることができるようになりました。より心地いい生き方に変わってきたように感じています。
愛と調和をもって生きるというのは、聖人君子だけに許された所業ではなく、薄っぺらいつくりものや偽善の類でもなく、あなた自身の中にすでにある、温かく揺るぎない資質です。それは、あなたが決めればいつでも選べる生き方です。あなたも、穏やかで心地いい、幸せな気持ちで生きることを自分に許しましょう。