完璧主義であることは、多くの場合、苦しみを生みます。
この世ははっきりしないことだらけ。グレーなことだらけだからです。
そして、「でも、ちゃんとしたいの」「きっちりしてると気持ちいいんです」と。
そんな言葉をよく聞きます。わたしも実際にそんな部分を持ち合わせています。
では、完璧主義を治してしまえばいいのでしょうか?
答えは人それぞれだと思いますが、私はそんな自分の一部と共存できればいいなと思っています。完璧主義の私があるからこそ成し遂げてきたことや恩恵にあずかっていることがあるはずです。また、これをなくす必要に駆られることは、イコール、これまでの私の否定になります。つまり、完璧主義でもしんどい、脱完璧主義でもしんどいということになります。私としては、どちらに転んでもしんどいという選択はできるだけ避けたいのが本音です。
では、私たちにはどんな選択肢が残されているでしょうか。
私は、一旦完璧主義の私も受け入れてみるのが平和的な解決のヒントになるのではないかと考えています。
あなたの中にある完璧主義は、今もあなたをもっとがんばるように駆り立てていますか?あなたが休むことを許してくれないでしょうか?
そんな私を受け入れるの?と思われたでしょうか。
はい。そうなんです。
そうまでしてがんばってきた私を受け入れ認め「ありがとう」と感謝を伝えて欲しいのです。自分の苦しみの素に感謝を伝えるのは難しいかもしれません。しかし、今は苦しみの素になり果てたとしても、かつてはあなたを導き、あなたが今いる高みに連れてきてくれたのです。自分にとって役に立つところがあったから、今まで自分のなかで保持されてきた機能だと思うのです。ちゃんとしてたいっていいことだと思います。きっちりしてたいって誇れることだと思います。ただ、少し行き過ぎたか、今のあなたとマッチしなくなって微調整の時期が来ている。こんな風にも考えられるのではないでしょうか。
あなたを支えてきてくれた、大切なあなたの一部を排除するのではなく、その功績や偉大さを認めながら違うあなたを増やしていくという方法はどうでしょうか?
ちょっと怠けてみるとかだらけてみるとか、勇気がいりますね。なにせこれまでしっかりきっちりやってこられたのですから。最初はとても心地悪いと思います。だから、無理のない範囲で挑戦してみてください。何かを敢えてやらない。何かを敢えて放っておくなどです。そして、その自分を観察し味わってみてください。どんな感情や思考が湧いてきたでしょうか。少しづつ取り組んでいくと慣れてきますが、最初は自分のなかに抵抗が現れると思います。怠けてみる方がイライラしちゃうという時もあると思いますが、そんな時は無理をしないで自分の楽な方を選んでください。
意識して「完璧にしてしまわない」を繰り返すうちに、完璧主義をやめたり治すのではなく「完璧主義なところもある私」へと変わっていくでしょう。完璧主義で行き詰っているとしたら、そうでない私という余白ができただけで、ずいぶん楽な気がしませんか。
変化は、急激ではなく少しづつがいいと思います。もし、変化の途中で「これでいいのかな」「誰かに話したいな」と思われたなら、ぜひ私とお話しましょう。お待ちしています。
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