多くの人が幸せになりたいと思っています。そんな中「幸せになると困るってどういうこと?」と、あなたは思ったでしょうか。
幸せになると困るのなら、不幸せがいいということでしょうか。いいえ、決して不幸せがいいわけではないのです。その証拠に、これに当てはまる人は、常に自分の身の上話しをしたがり「親が違っていたらこんな私にはならなかった」「もっとお金があれば違う人生を送っているのに」と、こうであれば幸せという別の人生を思い描いていたりします。実は人一倍幸せになりたいと思っているのです。
では、なぜ幸せになると困るのでしょうか。
それを知るには、少し深く掘り下げる必要があります。
例えば、あなたが、こどもの頃にいじめられた経験があり、傷ついたまま大人になったとしたら、対人関係を避けてしまうかもしれません。また、人間関係で行き違いがあっただけでも、傷つけられた、裏切られた、騙された、と思うかもしれません。とても傷つくのが怖いはずです。そして、このような思考や反応は不合理だと思っていても、それを変えるのは簡単ではありません。そんなときに出てきやすいのが「こんな私に誰がした」という思考です。この思考では、被害者の立場をとることになり、犯人探しが始まります。これは「私は悪くない」「私の苦しみは私はの責任ではない」ということを証明するための作業でもあります。自分の苦しみを引き受けないためには、誰か他の犯人が必要です。そして、犯人を存在させるには私が幸せではいけないのです。幸せになってしまうと、誰かを責めることも罪悪感を感じさせることもできません。
これが、「幸せになると困るという不都合な真実」の種明かしです。
あなたは「まさかそんなこと」と思ったかもしれませんが、気づかない内にこの状態にはまっていることはよくあります。特に、この思考が子どもの頃からのものなのであれば、それはあまりにも馴染みで、他の可能性を想定するのが難しいほどかもしれません。
これらのことは、あなたが幸せになりたいと切に願ったとしても、犯人探しをやめない限り永遠に幸せにはなれないことを教えてくれています。
しかし、これは考え方の癖なので、自分で変えていくことができます。
もし、あなたが不都合な真実に気づき、そこから抜け出したいのであれば、私とお話しましょう。あなたがあなたを幸せにするお手伝いがしたいと、私は真剣に思っています。